夜をゆく風は、まるで秘密のコトバを囁くように薄墨の水面をわたっていく。川辺に屹立した実験塔の周りでは、夜を愛でる生き物たちの冷光がごく微かな緒をひいて踊り、まるで塔の表面から、絶えることのない光の粒が零れ落ちているようにみえた。
 明かりを取るための小さな窓さえない、石造りのどっしりした実験塔は、手元も見えない暗闇を内部に孕んでいた。塔の内壁をなぞるように作りつけられた螺旋の階段は、最後の踏み板が張られてからすでに百年近くを経過していたが、それとわかる劣化の兆候もみせずに、静かに昇っていくリィンとその随伴者たちの体重を、音も無く支えていた。
 踏み板の数も百をかぞえた頃、塔を断面に仕切る円形の広間にでた。床面に複雑な形状の文様が描かれているそこは、一種の祭陣のようだった。広間の中心に向かって、十重二十重に結界がめぐらされ、法術による防御が施されている。それは外部からくるものから内を守るためのものではなく、その逆を意図していた。
「あなたがここに来られるとは、本当に珍しい事ですが。もうここまで昇ってこられたのですから、何を考えておられるのかお教えいただけませんか?」
 フードを目深く、口元にまで下ろして被った実験指導者がいった。後ろの闇の中にはあと二人、同じような身なりの−がっしりした体つきでそう思っただけなのだが−男性がいて、チュニックをきた若い女性を両側から囲む形で立っていた。リィンは冷たい目で実験指導者を振り返り、同じく凍るような冷たい声で応えた。
「少々気になることがあって。それを確かめるために」
 まるで腐敗した汚物を見るような目を、祭陣の暗がりにむける。
 その中央に、それが蟠っていた。
 全体のつくりさえよくわからない、殆ど不定形とさえ思える肉の集積物。いや、それは肉でさえなかった。
 一体全部で何本あるのだろうか。集積物の殆ど全身から多数の触手が生えて、暗闇を弄っていた。それぞれの触手の先端にはイソギンチャクを思わせる口吻物があり、口を開閉させるたびに、溶かしたゼラチンに似た粘液がまとまって溢れ出し、滴り流れていた。その色から舌を連想させる肉色の付属器官が何本も、濃い粘液の幕を被って開口部から伸張し、また引き込まれていく。まるで豪華な食卓を前にした下劣な貴族のようだと、リィンは思った。
 触手の暗い赤紫の地肌には、未知の血流を運ぶ太い血管が浮き出ている。体表面から途切れなく分泌されている粘液状の体腔液は、触手の動きに沿ってぬらぬらした透明の糸を幾筋も引いた。こうしてみると触手は、それぞれに独立して、ある種の知覚をもった環形動物のように思えてくる。そしてそれらのいくつかは、殆ど光の無い暗がりの中でリィンの存在を識別し、明らかな情動とともに彼女の躰の動きを追っていた。
「醜いことですね。とても」
 ぼんやりとした表情のままで、引き立てられるように連れてこられた、まだ少女のようなチュニックの女性を横目に見て、リィンは蔑むようにいった。簡単な衣を剥ぎ取られると、白い裸身が闇の中にぼんやりと浮かび上がる。肌には龍涎香のようなものが油とともにたっぷりと塗りつけられて、この暗闇の中でも全身が光るように、艶かしく滑っているのがわかった。
「どうやら、餌の存在を認識したようです」
 小さな、低い声で実験指導者がいった。
 触手たちから分泌される体腔液の量は、はっきりとわかるほど増え始めている。床面まで滴り糸を引く粘液をともなって、何本もの触手が、餌と呼ばれた女性に向かって這い進み、微かな開閉を繰り返す先端を指し伸ばしていく。しかしそれらの動きは、結界が作り出す見えない防御膜に近づくにつれて、のろのろと緩慢になり、やがて傍目からはまったく停止しているようにしか見えなくなった。どうやらこの結界膜には、無限に接近できるものの決して到達する事が出来ない、特別な作用があるようだった。その静止した触手の先端からは、ごぼごぼと音をたてて濃密な粘液が溢れ、こぼれつづけていた。
 餌は声もなく、息を飲んだ。そして身動きも出来ず、ぬらぬらした粘液を滴らせて次々と指し伸ばされる、闇の息子の触手に魅入っていた。もうすでに愛液が蜜壷からあふれてこぼれだし、欲望の昂まりとともに膝が小刻みに震えている。内腿をつたった液が、脹脛から足首にまで流れるのを”見て”、触手たちの先端が微妙に膨み、大きく脈を打ちはじめていた。
 水っぽい粘土の中から指を引き抜くような音がして、触手の先端が淫らな花のようにゆっくりと開き始めた。透明な粘液の糸を幾筋も引いて、肉色の舌が何本も、そこから伸びてくる。背中を後ろから押されて、少し足を縺れさせながら、餌は不定形に蠢く巨大な肉塊に躰を沈めていった。のたくりながら伸びてきた無数の触手が、すぐさま餌の全身に纏わりついて、肉襞の間に包み込んでしまう。ぬらぬらとした肉襞で全身を擦られ、執拗に捏ね回されて、餌は顎をのけぞらせ、か細い泣き声をあげた。
 餌の動悸が早まってきたのを感じたのか、疣を密生させた肉襞が寄り集まり、餌の内腿を割って丘のように盛り上がった。肉襞の丘は餌の秘裂を擦るように蠕動しており、それにあわせて餌の腰や尻も、快楽を得るために貪欲にくねり始めた。
 餌の背中が絶頂の最初の予感で弓なりに反り返るころ、太い触手が何本も脚や腰に絡みついて、彼女の躰を軽々と仰向けに裏返した。海生頭足類のような吸盤をもった触腕が、太腿から足首まで纏わりつき、膝頭が顔に届くほど、高く下半身が持ち上げられた。
 下腹部全体が、完全に剥き出しに曝される。そこに向かって涎を垂れ流しながら大小様々な口吻物が群らがり、無数の舌が陰唇や肛門の窄まりを舐めまわし始める。股の間で蠢く触手をつかもうと反射的に手がのばされるが、しかしその体表面は粘液で滑っていて、満足につかむことすらできなかった。そしてその腕もまた別の何本かに絡め取られて、両手を頭上に差し上げるように、拘束されてしまう。露になった腋から乳房にも、何本もの肉蔦が巻きつきはじめて、快楽の上に新たな快感を塗りたくっていった。
 肉蔦に根元から締め上げられ、豊かな両方の乳房がやわらかく、紡錘形にたわむ。大きく開いた口吻物から勃起した熱い乳首の上へ、濃い粘液の涎が滴って太い糸を引いた。先端部分から伸びてきた舌が、乳暈の周辺に触れるか触れないかの微妙な刺激を与え始める。それはまるで、焦らす事を知っているかの様だった。
 餌は熱い喘ぎ声をあげながら、何回も躰を捩った。その度に絞り上げられた乳房が揺れて、汗の粒が闇の中に飛び散る。何処となく気品がある餌の顔が、快楽をねだるように苦しそうにゆがんだ。
 それに気付いたかのように、触手の先端が突き出した乳頭を舐めあげ、そして内部に襞をもった口吻物が大きく開いて、乳暈全体を包み込んでいく。餌があげる歓喜の声に呼応するように肉蔦が動き、その度に濃い粘液が溢れて、締め上げらて揺れる乳房のうえを、とろとろと伝い流れていった。
 触手はつぎつぎに先端を開いて、脇の下や胸の谷間、首筋など全身のあらゆるところを舐めあげ、躰に塗りつけられた香料や汗、体液を丹念に味わっていた。
 やがて闇の息子は、それぞれ独自に蠢く、無数の粒球物を表面に纏った肉棒の先端をぬるりと挿しいれて、餌の秘裂にもぐりこんだ。熟れすぎた果実が潰れるような音をたてて、触手は若い精気を貪りはじめる。同時に別の舌が、充血してふくらんだ陰核を包み込む。陰唇がめくりあげられ、膣が裏返るほどに激しく、触手は餌の内部を陵辱しつづけた。
 肉棒の淫らな動きのたびに、餌は激しく頭を振り、涎を垂れ流しながら四肢を大きく痙攣させた。二度、三度…何度も背中を快楽が駆け上ってきて、餌の顎が大きく仰け反る。
 やがて長い絶頂の果てで、がっくりと力を失った餌の躰は、しかしまだ解放されない。更に新たな快楽と精気を求めて、直腸の奥にも舌が、そして触手本体がぬっと差し込まれてきた。
 霞んだ目から涙を流して餌は顔を左右に振ったが、膣に、直腸に深く挿し入れられた肉の蠢きは、止む事がない。乳暈にしゃぶりついた口吻物は更に開口部を広げて、乳房の殆どを包み込んで絞りあげるような、淫猥な蠕動を繰り返していた。
(この霊気の匂い…そうだったの)
 闇の息子に全身を覆われ、陵辱され続ける餌の姿を、リィンは冷たく観察していた。餌の眼は何も映してはおらず、ただ欲情と官能に溢れて、潤んでいるだけ。
 しかし、偶然に餌と視線が合ったとき、リィンは低い声でいった。
「このまま続けて、大丈夫なのでしょうね」
「ご心配なく」
 実験指導者がフードの奥からいった。
「被験者には十分に若く、また健康で体力のあるものを選んでいます。もちろん、実験中の記憶が全く残らないように処置をしていますが、それも契約のうちでしてね。報酬の額は、人生の中で失われた時間を補うのに、十分すぎるものだと思いますよ」
 そしてまるで見下すような、下劣な笑いとともにつけくわえる。
「もっとも今回の餌にも、我々の報酬額など…」
 リィンは返答もせず、餌の方に目を戻した。エンゲの躰に微妙に残っていた霊気の残滓と同じ、嫌な匂いが漂ってくる。躰の奥から冷たく鋭い怒りが立ち昇ってきて、めがねの奥の瞳が破滅の色に明るく灯りはじめる。それに気付かれないうちに、彼女は餌と闇が絡み合う穢れた空間に背中を向けた。
「当分はこれで、精気に不足する事はあるまい」
 実験指導者の満足そうな独り言が、快楽に喘ぐ餌の声に重なる。リィンは絶え間なく発せられる大きな嬌声から逃れるように、暗闇の中にむけて足を早めた。




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