明かりを落としたその部屋には、焚きこめられたバーベナの金色の香りが満ちていた。薔薇の模様をシェードに刻んだ、小さなランプが一つだけ、壁から光と影を紡いでいる。部屋の中央にある、複雑な螺旋の装飾を施した分厚い樫の長いテーブルを、三人の祭官が囲んでいた。三人とも同じように長く髪を伸ばし、同じように豊かに髭を蓄えているために、一目では細かな年齢の差をつけ難くかったが、その中で一番若いと見える、青く薄い目の色の僧がいった。
「またしても、なにやら憂鬱な知らせが届いたようですね。眉間のしわが深い」
 一番立派な、高位のトルクを頸に飾った僧は黙ったまま、ますます眉間の影を濃くして不快そうに目を細めた。書簡の束をテーブルの上に投げ出し、読んでみろというように、更にその上に開封も真新しい一通をほおリ投げる。
「スゥィンダインの高位聖職者たちから、またしても活動の要求だ」 
「やれやれですな」
 最後の一人には、片腕が無かった。白くゆったりした僧衣の右腕の肘から先が、形の定まらない虚ろをのぞかせている。残った左手で器用に手紙を開くと、ざっと内容に目を通して、倦み疲れたような表情で傍らの若い僧に手渡した。
「いよいよ、内容が具体的で直接的になってきた」
「これはまた、今までにも増して…過激ですねぇ」
 文面を追いながら、面白そうに薄い目を輝かせて、若い僧がいった。
「”王の生成”とは、なんと勇猛ないいまわしでしょうか」
「笑い事ではない」
 高位のトルクの僧は、怒りを隠そうともしない。薄い目の僧はそれを見て、再び困ったような曖昧な薄笑いを浮かべた。
「それで、どうなさるおつもりですか?」
「もちろん、もうこの先は、捨てておくべきだ。そうでしょう」
 隻手の僧が乾ききった調子で応じた。
「これより向こうに進んだら、我々とてスゥィンダインの者どもと同列の徒に堕することになる」
「そういうわけにもいかないからこそ、”丘での実験”を企図したわけだろう−どのような感じになったのかね」
 二人の視線が、薄い目の若い僧に集まった。
「彼女への接触は?」
「なかなか微妙な感じですねぇ。といいますか、奇妙な感じというべきかも」
 隻手の僧は、眉間に微かな縦皺をみせた。
「あちらから、わたしを見通された感じがしました」
「ほう。逆にこちらを見返してきたか」
「スゥィンダインの奴ばらも、少しはヒトを見る目を、持ち合わせていたということですね」
 薄い目の僧は、実験に使用した樫のヤドリギを二本とも、バーベナが焚かれている煉瓦造りの小さな炉に投げ入れた。
「ひとりの躰には、寄り代を使って入り込むことが出来ました。ですが肝心なところで、何やら特別な道具で排除されてしまった。もうひとりは、どうして侮れない知識をもっているようですね」
「ふん。その娘は、確かに侮れないぞ。怖さをしらぬ探究心は、ナッサール殿以上だろうからな」
 可笑しそうにいう隻手の僧に向かって、高位のトルクは頸をふった。
「ナッサール殿か…あの方の研究姿勢は好ましかったが、肝心のアカデミーがあの様に保守的では、な」
 高位のトルクはお茶を一口して、不満そうに口許をゆがめた。
「彼女の”息子”がアカデミーの手で、今も養われ続けているといわれる、と聞いても、そう思われますか?」
 すこしの間をおいて、衣の右腕の虚ろな空間のような、底のない暗い笑みを浮かべながら隻手がいった。
「それは処分することもできないままに、今でも生かされつづけているとか。実に悍ましいことですがね」
「おお…」
 高位のトルクは、凍りついたような一瞬の驚愕の後、両掌で顔を覆って呟いた。
「闇の息子が、まだ生きつづけておるとは。いつ、知ったのだね」
 隻手は軽く頷いて席をたった。戸棚から取り出したのは、濃い黄金に輝く液体を内に満たした、細長い硝子の円筒だった。長さは三束以上もあり、捻じ込み式の蓋できっちりと栓をされた内部には、殆ど空気は入っていないようだ。
「これを受け取りに、アカデミーに伺った折に。古い友人たちから」
「何ですか、それは?」
 薄い目が興味深そうに、硝子の円筒を持ち上げた。思ったよりも、ずっしりと重い。ランプから投げかけられる淡い光の中で、粘度の高い液体はゆっくりゆったりと流動している。注意してみると、液体の中には何本も、螺旋状のリボンのようなものが、ゆらゆらと漂っているのがわかった。
「蜂蜜…のようにみえますね」
「特別に抽出して精錬された、蜜のようなものだ」
「どうしてそれが、ここに」
 高位のトルクは思わず椅子から腰を浮かせた。その拍子に膝がテーブルにぶつかって、ポットやティカップが不吉な音をたてた。
「きみは!いったい、”何をやって”いるのだね」
「伝手は作っておくもの。アカデミーの長老たちの中に、何人か自分の友人がおりましてな。例の実験の成果物…あなたも、これを入手なさりたかったのでは?」
「−あの方の弟子であれば、やはりそれ相応にという事か−」
 高位のトルクは、力もなく再び椅子に体をあずけた。
「ナッサール殿に、わたしが会って参りましょう。スゥィンダインの者たちが接触をはかる前に」
 円筒の中で流動する黄金を見つめながら、薄い目が静かにいった。
「わたしはその方とは初対面ですので、いろいろな意味で都合もよろしいかと」
「今はオッピドウム通りで、道具屋を営んでいるときいている。確か、サワー堂とか」
「道具屋さんですか」少し困ったようなそぶりで、薄い目は目立たない笑いを声の中にまぎれこませた。
「来週にでも、伺うことにいたします。同行いただけませんか?」
 薄い目は、隻手の気難しい表情に向けていった。
「それには、手土産がいるな。これをもっていくとしようか」
 隻手はテーブルの上に小壜を取り出すと、そこに円筒の内容物を少し、取り分けた。とろりとした液体の中を、金色の細糸が一緒に流れていく。壜のなかを下っていく糸を追いながら、隻手はほんのかすかに自嘲気味の笑みを浮かべた。
「訪問先は所謂、道具屋だからな。こういうものがあれば、いろいろと重宝するだろう」
「それにこれは…彼女が溺愛した弟子の、最初の実験成果でもあるのだ」
 高位のトルクが密やかに、自分を納得させるようにひとりごちた。




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