気がつけばいつのまにか、すっかり陽もおちきって、弓張りの月が水のようにゆらめく光を落とす刻限になっている。耳をうった金属音にはっとしてふりかえると、そこではアカリが、野営のための天幕の準備を、独りで黙々とすすめていた。
「あぁっ、ごめん、アカリ…わたし、気がつかなくて」
 あわてて、そしてもごもごと謝るエンゲに、アカリはにかっと歯を見せて笑った。
「いいって。それより、結界の方をおねがい」
 エンゲはきまりが悪そうにうなずくと、荷物の中から山のような結界石を取り出した。こんなに大量の石をいったいどこに入れていたのかと、開きかけた口を閉じるのも忘れて、アカリは半ばあきれたような声を出した。
「凄い数…エンゲ、荷物が重いって?あたりまえすぎるよ」
「そんなこといったって」
 少しばかり頬を膨らませた不本意な表情で、天幕を中心にしてエンゲは慎重に結界石を配置していった。真円ではなく卵型に。長い時間をかけた研究と実験、それに幾つかの犠牲を経て、この配置による結界が最も効果的である事が、経験的に定式化されていた。説得性のある理論的な足場は、そこにはいまだに組み立てられてはいなかったが、とにかく役に立つ経験則といえた。
「このまえは結界石の隙間を抜けられて、ちょっと危ない感じだったでしょ?だから今度は…っと」
 ひととおりの配置を終えて、エンゲは結界から一歩下がって全体を俯瞰した。石の間隔は今までよりもずっと密で、結界そのものも三重に巡らせた。これだけ用心しておけば、まず大丈夫だろう。
「こんなところで、どうかな」
「エンゲっ。ご飯の用意、できたよー」
 天幕の中から、明るい声が聞こえてくる。夕食といっても、野外で食べる簡単なものだったが、独りで食べる豪華な食事よりもずっといい。エンゲは固形燃料で暖めたシチューをアカリとわけあって、ずいぶん久しぶりに食事が美味しいと感じた。ここでワインがあればもっといいのだが、いつ幻獣が現れるかもしれない野外の調査に、アルコールは禁物である。今夜は早々に休むことにして、二人は用意した寝袋にもぐりこんだ。
「よいしょっと…」
 寝袋にくるまったままの格好で、アカリはエンゲの胸元にもぞもぞと寄り添った。
「なんか、器用…アカリ」
「えへへ」
 アカリは躰をまるめて胸のなかに潜りこみ、エンゲに鼻先を摺り寄せた。
「久しぶりだね、こうやってくっついて寝るの」
 満足した猫のように目を瞑って、寝袋のままぴったりとエンゲにくっつく。
「こうしてると…安心」
「うん。わたしも」
 エンゲは、アカリの髪の匂いをかぎながら、呟いた。この場所、五月前夜の丘に独りで訪れるのは、本当に恐ろしいことだった。アカリがいなければ、野営などする気には、絶対にならなかっただろう。
 遠くに、そして近くで虫の音が聴こえる。その声に誘われて、二人は縺れるように寄り添いながら、ちょっと緊張した浅い眠りの中に落ち込んでいった。




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