中庭にある庭園。
 そこで、ユリアーネはロルフと会っていた。
 若葉が芽生えたばかりの芝生はとても柔らかく、ユリアーネはドレスを着ているのも
忘れて、大胆に寝ころぶ。絹で出来たスカートが、緑の絨毯の上に広がった。
「とても、一国の姫とは思えん」
 あいかわらずのロルフの悪態。
 だが、ユリアーネの願いを避けたことは一度もない。
 この無愛想な異国の戦士は、ユリアーネの大切な友人だった。
「いいでしょう。たまには羽を伸ばしたとしても、私たち王族は、かしこまっているのが仕事
なのですから」
「仕事なのではない。威厳は、王族に生まれつき備わっているものだ」
 そう言うロルフは、中庭の芝生に座り込んで、退屈そうに空を見上げている。
「威厳なら、もう備わっていますもの。見ていなさい、ロルフ。あと二、三年も経てば、
あなたが夢中になるような素敵なレディになってしまうのだから」
 母親のミルダラ王妃は確かに、美しくて威厳も備わっているので、ユリアーネの言っている
ことは、あながち現実性がないことでもない。
「ふん」
 だが、ロルフは鼻で笑うだけだ。
 お転婆娘がレディになるわけがない、と思っているのだろう。
「ロルフ。後になって悔やんでも、私は知りませんよ」
「その時は、俺の吠え面で楽しんでいればいい」
 発達した白い犬歯を見せて、ロルフが笑い、ユリアーネも一緒に笑う。
 とても楽しい、大切な時間。
 だが、それが奪われる時は、意外と早く訪れた。
 
 豪奢な調度品で飾られた謁見室。
 その中心である王座に座っているのは、現ベルナール王クローヴィス3世。
 日に焼けて茶色がかった髪と豊かに蓄えた髭、そして頭の上にある見事な細工の王冠は、
歴戦の勇士にふさわしい威厳をかもし出している。 
「戦士ロルフ。そなたに、北の要塞ウォーレム周辺の幻獣を駆逐することを命ずる」
 その表情は苦々しいもので、そう言い終わった後、王は隣りに座っている王妃ミルダラを
にらみつけた。
 ロルフを遠くにやってしまわなければ、寝室で自分を抱かせない。
 娘であるユリアーネにロルフが近づくことを嫌ったミルダラが下した、陰険な策である。
「御意。それでは今日にでもウォーレム要塞へ向けて、出立いたします」
 クローヴィス3世のお気に入りの戦士ロルフの返事は、あいかわらず淡々としている。
 そもそもロルフはベルナール王国を跳梁跋扈する幻獣を退治するために、異国である
北方の大平原から連れて来られたのだ。
 単調な城暮らしには飽き飽きしていたようなので、この命令はむしろ喜ばしいことなのかも
しれない。
 クローヴィス3世は直接、ロルフと親しく話すようなことはなかったが、彼が起こす城での
騒ぎを聞くのは、ちょっとした楽しみだった。
 ロルフの態度を素っ気なく感じて、クローヴィス3世の機嫌はますます悪くなる。
「さがってよい」
「御意」
 ロルフは着いていた膝を床から上げると、何も言わずに立ち去っていく。
「これで満足か、ミルダラ?」
「はい。これで城の風紀は保たれますでしょうし、ユリアーネを心配して、私が眠れない
日々を過ごすこともなくなりました。ありがとうございます、王」
 白々しい礼の言葉に、クローヴィス3世はいらただしそうに髭を掻いた。
 ユリアーネが寂しがって、自分に不満をぶつけてくるのはわかりきっている。
(おのれ、今夜は覚えておれよ)
 閨房でミルダラに復讐を果たそうと、クローヴィス3世は大人げない決意をしていた。


「ロルフ様。行ってしまわれるのですか?」
「ああ。北の要塞ウォーレムに行くことになった。今まで世話になったな、ステラ」
 素っ気ないロルフの言葉に、ステラは彼が着ている服の裾をつかんで怒った。
「あんまりです。私は明日から、どうすればいいのですか?」
 ロルフは遊牧民の出なので、最低限の荷物しか持たない。空になった自室を見回してから、
強く自分の服をつかんでいるステラの指を引きはがす。
「主君の命令であれば、従わねばならん。それはわかっているはずだ」
「そんな……」
 ロルフにつかまれた指を見つめながら、ステラは涙をこぼし始めた。
 この一ヶ月、ロルフと睦み合った記憶は、彼女にとって忘れられないものだった。
 今更、普通のメイドとしての日々に戻れと言われても、そう簡単に納得は出来ない。
「ウォーレムの幻獣を退治し終わったら、おまえに会いに戻ってくる。それでいいだろう」
「待っていろと言って下さるのですね」
 返事はせずに、ロルフはステラの指を放し、扉へと向かった。
「待っています、ロルフ様。私は、あなたのものなのですから」
 扉が開き、ロルフは部屋から出て行く。
 ステラはじっと、その広い背中を見つめていたのだが、結局、最後までロルフが振り向くことは
なかったのだった。


「ロルフ。赴任命令が出たそうだな」
 45度の口髭を揺らしながら、馬小屋でハインツが話しかけてきた。
 馬小屋から出てくるセキヨウの大きな体を撫でながら、ロルフはうなずく。
「ああ。今日にも出立するつもりだ。できれば……」
「どちらが強いか、決着を着けたかったものだな」
 ハインツが語尾を補ってくれたので、ロルフはうなずいた。
 雇われ兵士は、雇い主の好きなように使われるのが定めである。
 それが急な命令や危険な命令であっても、命令であれば従わなければならない。
 剣を持つ者同士が持つ連帯感なのだろうか。
 今日は、ハインツもロルフもよく、しゃべった。
「ベルリオは我が輩たちが守る。ウォーレムは貴様に任せた」
「妙なことを言う。ウォーレムにも騎士団はいるだろう」
 ロルフたち遊牧民族の戦士に任されたのは、幻獣の退治。それだけのはずだ。
「いや。ウォーレム要塞は、ケルヴィオン民主統合国との国境を守るための場所。
頭には入れておいて欲しいのだ」
「侵攻か……昔の話だ」
 過去。クローヴィス3世がまだ若く、髭も生やしておらず、妻はミルダラではなく、
前王妃ランセであった時代。
 東側の隣国、ケルヴィオン民主統合国が突然、ベルナール王国に戦争を挑んできたことが
あった。理由は「野蛮な王制から民衆を解放するため」という、偽善に満ちたもの。
 七倍以上の領地の差を持つ二国の戦争は、ケルヴィオン民主統合国の勝利で決着が着くと
思われたが、クローヴィス3世は粘りに粘り、ついに彼らをベルナール王国から叩き出すことに
成功したのだった。
 その勝利は劇的で、遊牧民の間でもクローヴィス3世の武勇を讃える者は多い。
「ウォーレム国境付近に、部隊が集結しているという不穏な噂もある」
「反乱を起こした軍団をまとめて処刑するという話だろう。首都から離れた場所で処刑を
行うのは珍しいことではない」
 ロルフはハインツに何かを求められているのを感じて、いちいち、その言葉に反駁した。
 それを察して、ハインツは率直にロルフに言葉を放った。
「約束して欲しいのだ、貴様に。ベルナール王国に危機が訪れた時、助けになってもらいたい。
言えた義理ではないが、我が輩は貴様の強さを評価している」
「……」
 ロルフは答えない。彼は一人の戦士ではない。ベルナール王国からクローヴィス3世が
連れてきた遊牧民の戦士たちを預かる戦士長であるから。そう簡単に、ハインツの言葉に
うなずくことは出来なかった。
「ニコラのことばかりではない。ユリアーネ姫のことでも貴様には世話になった。
だから、勝利の栄光を飾る時、共に在りたいのだ。迷惑だろうか?」
 ハインツとしては最大限の謙遜の言葉だった。
 ロルフはしばらく考え込んだ後、静かにうなずく。
「わかった。ベルナール王国に危機が訪れた時、俺は助けとなろう」
「よし。貴様なら、そう言ってくれると思っていた!」
 嬉しそうに、ハインツはロルフに握手を求める。
 その手を、ロルフは強く握り返した。
 見送るように、ハインツの愛馬マクバレンがいなないている。

 蹄が砂を蹴る。
 訓練場で愛馬セキヨウに跨ったロルフは、そのまま城門を目指して出て行った。
「行っちゃったね、ロルフ様……」
 剛勇なロルフの姿に憧れを抱いていた騎士見習いの少年の一人が寂しそうに、
その姿を見送っている。隣りに立っているのはニコラだが、彼は何も答えない。
 どうやって、リディに会いに行ったらいいのか。
 そのことで頭がいっぱいになっているからだ。
 それは使命感にも似ていて、他のことを考えさせない。
 騎士見習いの少年の運命を狂わせるには、一夜の逢瀬で充分であったようだ。
 
 同じ頃、ベルナールの城下町ベルリオの繁華街にある「ギャミル・ハウス」にて。
 ギャミルは、カルトン公爵の伝令の前で驚いた顔をしていた。
「なんと。ロルフ様がベルリオから出て行ってしまわれたのですか?」
 残念そうに言うギャミルに、カルトンの伝令はうなずく。
「ロルフ様は今日付を持って、北の要塞ウォーレムに出立された。それよりも店主。
さきほど伝えたことは覚えたのか?」
「もちろんでございます。ニコラ様がいらっしゃったら、何も言わずに店にお通し
しろということでございますね。心得ておりますとも」
 代金は全て、カルトンが支払うという約束になっている。
 もしも少年が泥沼にはまるように「ギャミル・ハウス」に通いつめてくれれば、
これは大きな利益となる。
 老貴族の屈折した遊びに、ギャミルは深い感謝の念を抱いていた。
 
 
 ダカッ、ダカッ、ダカッ!
 特大の蹄が土を蹴り、ロルフの体を風のように北へと運ぶ。
 愛馬セキヨウに乗り、街道を沿って北上するロルフ。
 金属板をそのまま組み合わせたような、雑な造りの黒い鎧。
 そして、手入れも何もしていない伸ばし放題の黒髪と、牙にしか見えない犬歯。そして、
背中に背負った大薙刀。
 その姿は、まるで人食い鬼のように見えた。
「ひゃあ! なっ、なんじゃ、あれは?」
 街道を歩いている旅人がその姿に驚いて頭を伏せ、怖々と振り返った時には、
もうロルフとセキヨウの姿は点のようにしか見えなくなっている。
 精強で知られる騎馬民族の血は、まだ衰えを見せていない。
 おもむろに右手の指を口に入れ、ロルフは大きく指笛を鳴らす。
 ビィー! ビィー!
 空気を震わせて、セキヨウが走り去っていく後に、指笛の音が響いていく。
 ビィー! ビィー!
 幾度、鳴り響いたのだろうか。
 ダカッ、ダカッ、ダカッ!
 しばらくして、ロルフとセキヨウの後を数頭の馬が追いかけ始めていた。
 ダカッ、ダカッ、ダカッ!
 ダカッ、ダカッ、ダカッ!
 蹄の音はますます多く、大きくなっていき、後ろについてくる馬の数も増える。
 馬の上に乗っているのは、ロルフと同じ黒い鎧を着た男たち。
 彼について一緒にベルナール王国にやってきた、北方の遊牧民族の戦士たちだ。
「ロルフ様ぁ! もう城を追い出されちまったんですかぁっ!」
 後ろで、髭を伸ばした男が叫んだ。
「おうっ! そのとおりっ!」
 快活な声で、ロルフが叫び返した。
 戦士たちの笑い声が街道を響かせ、蹄の音がそれに重なっていく。
 
 
 その翌日。
 誰かを捜すようにして、キョロキョロと辺りを見回しながら、ユリアーネが廊下を
歩いている。その姿を見つけたメイベルが、ユリアーネに話しかけた。
「ユリアーネ姫。どうなされたのですか?」
「いえ、なんでもありません。ええ、なんでもないのですよ」
 そう言いながらも、ユリアーネは何かを捜すように、あちらこちらに視線を動かしている。
 その姿を見て、メイベルは溜め息をついた。
「ユリアーネ姫。ロルフをお捜しなら、見つかりませんよ。あの者はウォーレム要塞へ
赴任しましたから」
 ユリアーネの青い瞳が、大きく見開かれた。
「なぜですか、メイベル」
「なぜとおっしゃられても。ウォーレム要塞の近くで幻獣が多く確認されるようになった
そうです。ロルフの仕事は、幻獣を退治することですから。当然でしょう」
 ユリアーネが被っている小さな冠が震えている。これは彼女が怒っている証拠だ。
「ロルフは、私に何も言っていませんでした。何があったのですか。こんなに急に
異動の命令があるなんて」
「さあ。私にはわかりかねます」
 まさか、自分がミルダラ王妃に報告を続けたことが原因になったとは言えない。
 メイベルは丸眼鏡に手をやって、自分をにらんでいるユリアーネの視線から目を
そらした。
「もうよい! 父上に聞いてきますからっ!」
 白いドレスの背を向けて、ユリアーネは走り去っていく。
「あんな蛮族の戦士を、どうして気に入ってしまったのかしら?」
 メイベルには、そのことが疑問でならなかったのである。

   







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