序 章

 
 18世紀末、イギリスで起こった産業革命。
 それまでは自然、大地と大空、そして大海原の表情をうかがいながら生活していた人類の生活は、
それを契機に一変した。
 大量生産と大量消費。
 あらゆる大陸は人類によって踏破、征服され、大空の至るところも、深き海の底も人類のものとなった。
 華やかなる文明の開化。
 幾たびかの大戦は人類を傷つけはしたけれども、それよりも多く人類は数を増やし続けた。
 それと相反するように、次々と姿を消していく人類以外の生き物たち。
 その現象を絶滅と人類は呼び、危機に気付いた、わずかな人々は、懸命に今の時代の危機を呼びかけたが、
文明の恩恵に酔う多くの人々は、そんな言葉には耳を貸さなかった。
 出生数減少。
 人口の爆発的な増加が人類破滅の要因となることを懸念していた人類は、最初、そのニュースを
明るいものだと解釈していた。
 医療体制が完備され、子供を多く産む必要がなくなったのだ。
 子供を資産としか見ない野蛮な文化が駆逐され、本当に人権が保障されるようになったのだ。
 知識人と呼ばれる者達は口々に自分なりの解釈を述べていたが、すぐにそれが人類破滅の要因なのだと
気付かされることになった。

 産まれない。
 それ以前に、生殖行為自体が出来ない。
 
 慢性的な若者達の精力の低下。
 そして、そこから産まれてくる子供達は、さらに精力を失っている。
 
 化学物質の影響、管理教育の弊害、性の開放の行き過ぎ。
 やはり原因はいろいろと取り沙汰されたが、誰も解決方法を思いつくことは出来なかった。
 人口は減っていく。
 老人ばかりになった人類は、わずかな数の若者達の未来を憂いながら、どうすることも出来ずに
土へと還っていく。
 どうして、こんなことになったのか。
 本当の原因はわかっていたのだが、だれも今の生活を変えることは出来なかった。
 
 二十一世紀後半。
 そんな末期的な状態が何十年も続く人類に、さらに新たな危機が押し寄せた。
 最初に襲われたのは、世界各地の原子力施設。
 人類の生活を支える基本的なエネルギーである電気。
 それを無尽蔵に生み出す施設が、ある存在によって襲撃されたのだ。
 
「妖精を見た!」
「いや、あれは化け物だ。翼が生えて、身の丈は人間の倍以上あった」

 最初、誰もが原子力施設にいた人間が嘘を言っているのだと思った。
 しかし、ある存在は徐々に、そして確実に世界へ姿を現していく。
 ハイウェイを走っている車の列が突然、羽毛の生えた翼を持つ巨大な空飛ぶ蛇に襲撃される。
 石油を貯め込んだコンビナートが、海中から現れた巨大なイカともタコともつかない触手を持った
怪物に襲われる。
 それは人類が長い歴史の中で思い描いてきた、実際にはいないはずの空想上の生物「幻獣」と
酷似していた。
 
 鋼鉄の装甲を貫く弾丸も、全てを焼き滅ぼす核の炎も。
 唐突に姿を現し、思いのまま破壊を行って消えていく半実在の存在「幻獣」の襲撃には有効に
働かない。
 人類の文明の根幹を崩していく、恐るべきモンスター、「幻獣」。
 崩れ落ちていく巨大なビル。
 炎の中に消えていく工場。
 灰燼と帰した空港施設。
 
 何も残らない、悪夢のような襲撃。
 人々は恐れおののくだけではなく、彼らが何者なのか知ろうと懸命に調査を開始した。
 

 神秘学者の語るところによれば、「幻獣」は地球のバランスを調整する霊的な存在なのだと言う。
 人類が冒涜し、揺るがし続けてきた自然環境を調整するため、彼らは地上に姿を現したのだと。
 そんなことを言われても、自分たちの生活を砕かれていく人類は銃を手に持ち、弾が尽きた時は
数百年前に使っていたような年代物の武器、剣を手に取って戦うしか、道を選ぶことはできなかった。

 そう。
 「幻獣」は人類の文明施設を壊すだけではない。
 人間を喰らうのだ。
 正確には、人間の肉をかじるのではない。
 牡型幻獣は人間の女性と、牝型幻獣は人間の男性と交わることによって、生物を生物として
生かしている霊的なエネルギー、精気を吸い取っていく。
 幻獣のことをよく知らない好色な者は、それを役得だと愚かなことを言ったが、幻獣に襲われて
精気を吸い尽くされた者の多くは、生きていく活力を失い、生命力を失って死んでいったのである。
 
 やはり神秘学者は、半霊半実在の存在である「幻獣」が現実界で「肉」を構成するために、
エネルギーの補給が必要なのだと説明を行ったが、それが人類の「幻獣」への憎しみを和らげる
ことにはならなかった。
 
 おぞましい姿を持ち、生活を支える施設を破壊し、ましてや辱めるだけ辱めて人間を殺すもの。
「幻獣」。
 大量生産、大量消費という生活スタイルを維持出来なくなり、通信、交通といった技術も
失ってしまった人類。火を噴く銃も、大地を駆ける自動車も使い尽くしてしまっている。
 その姿はまるで、中世まで時代をさかのぼったような、昔ながらの生活スタイルになってしまった。
 それでもなお、「幻獣」への恨みだけは忘れずに、剣は作られ続けていく。
 
 神秘学者は指摘する。
 「幻獣」たちが出現したことによって、人類はようやく大量生産、大量消費という不自然な
生活を捨て、本来の自給自足の生活に戻れたのだ、と。
 彼らによって、人類は失いかけていた精気を取り戻し、健康な子供を育むことが出来るように
なったのだ、と。
 確かに、「幻獣」が現れてから数百年経過して、子供が産まれないという問題はなくなった。
 人類は種の滅亡から逃れることが出来たのだ。
 だが、そのことに感謝する者は、誰もいなかったのである。
 
 
 時は二十三世紀。
 通信も交通手段も失った人類は、それでも国というものを保っていた。
 もはや明確な国境線というものは存在せず、大規模な地殻変動で姿を変えた大陸の全容を知る者は
誰もいないけれども、それでも国はあった。
 
 大陸の中心に位置するのは、最も巨大で最も力を持つ国、ドラギオン帝国。
 絶大なカリスマを持つ戦士を「王」として頂点に置いた帝国は、平和と繁栄を極めている。
 その帝国の四方は王に協力する最強の幻獣ドラゴン、すなわち龍によって守られており、
周囲の国は不干渉を余儀なくされている。
 その隣国は、ハイランディ共和国。
 二十三世紀では最も普遍的な政治体制、合議制で統治されており、緑と天然資源に恵まれた
国土は、小さいながらも安定した生活を保っていた。
 この物語は、この二つの国と国境を接する小国、ベルナール王国にて始まる。
 
 北部には馬を駆って自由自在に草原を駆けめぐる遊牧民族、南部には大陸最強の国である
ドラギオン帝国。この強力な侵略者に成りかねない存在を控えさせながらも、ベルナール王国は
独立を保っていた。
 幻獣が大量に生息する天険の山脈と密林に囲まれた国土。
 世襲制の王と貴族によって保たれる安定した政治。
 山にこもっている弱兵ばかりの小国ではないことは、現王クローヴィス3世が東の隣国
ケルヴィオン民主統合国の侵攻を弾き返したことで示している。
 悩みは、未だ絶えない幻獣の襲撃だが、これも北方の遊牧民族と講和することで、撃退する
だけの戦力を確保することができるようになった。

 この国は続いていく。
 
 どこの国の国民とも同様に、ベルナール王国に住む人間は皆、そう思っていた。

   

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